下野国宇都宮氏の当主で「坂東一の弓取り」と呼ばれた。かつて命を救われた平家人への恩義を貫き、源頼朝に助命を嘆願した人情家。

1. 導入:なぜ、今それを語るのか?
- 源頼朝から「坂東一の弓取り」と絶賛された超一流の武闘派。
- 平家に捕まった時に助けてくれた平貞能の恩を死ぬまで忘れなかった。
- 平家滅亡後、死刑になりそうな貞能を「一族全滅覚悟」で救出した。
「受けた恩は、利息をつけて返す。」
宇都宮朝綱(うつのみや ともつな)は、ただ弓が強いだけの武将ではありません。
勝者の論理が支配する時代に、「敵への恩義」を貫き通した、筋金入りの義理堅さを持つ男でした。
2. 起源の物語:坂東の名門
2.1 宇都宮氏とは
宇都宮朝綱は1127年、下野国(現在の栃木県)の名門・宇都宮氏に生まれました。
- 下野国の有力豪族、朝廷の警護も務めるエリート
- 「坂東一の弓取り」として武名を轟かせる
- 実は「百人一首」の生みの親とも言える文化系一族
2.2 文武両道の一族
朝綱の孫にあたる**宇都宮頼綱(蓮生)**は、藤原定家に「京都の別荘の襖に飾るための色紙を書いてほしい」と依頼しました。
これが小倉百人一首の原型(原点)となりました。
「東国の武士=荒々しい田舎侍」というイメージを覆し、京都の上級貴族とも対等に和歌を詠み交わす教養を持っていたのが、この一族の面白いところです。
3. 核心とメカニズム:恩義の物語
3.1 平家に捕らわれる
1180年、源頼朝が挙兵した時、朝綱は京都にいました。
「敵対勢力」として平家に拘束され、処刑されてもおかしくない状況でした。
3.2 平貞能の男気
この時、救いの手を差し伸べたのが、敵であるはずの**平貞能(たいらのさだよし)**でした。
「彼ら(朝綱や畠山重能ら)を処罰しても意味がない。むしろ恩を売って国に帰し、彼らの領地を治めさせた方が得策だ」
貞能は平家一門を説得し、なんと朝綱を無罪放免で関東へ帰したのです。
| 項目 | 状況 |
|---|---|
| 朝綱の立場 | 平家の敵(源氏側) |
| 通常の処置 | 処刑 |
| 貞能の判断 | 恩を売って帰国させる |
| 結果 | 朝綱、命を救われる |
「敵になるかもしれない男を、信用して逃がす」——この貞能の命懸けの采配がなければ、朝綱は確実に殺されていました。
3.3 坂東一の弓取り
関東に戻った朝綱は、源平合戦で活躍し、源頼朝から**「坂東一の弓取り」**と絶賛されました。
- 源為朝:「日本無双の剛弓」、5人がかりの強弓で船を沈めた伝説
- 那須与一:「神業のスナイパー」、屋島で扇の的を射抜いた
- 和田義盛:侍所別当の豪腕、遠矢の名手
派手な伝説こそありませんが、頼朝という厳しい審査員から「実力No.1」のお墨付きをもらった点に、戦場での確実な殺傷能力と安定感が垣間見えます。
3.4 一族全滅覚悟の恩返し
源平合戦が終わり、平家は滅亡しました。
敗軍の将となった平貞能は、頼朝から死刑を宣告されます。
この時、朝綱は頼朝にこう言いました。
「彼を殺すなら、私の一族を全滅させても構わない!」
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 貞能の立場 | 平家の残党、死刑確定 |
| 朝綱の要求 | 命を救ってほしい |
| 賭けたもの | 一族全滅のリスク |
| 結果 | 頼朝が折れ、貞能は助命 |
朝綱は頼朝を説得し、貞能を自分の領地に引き取りました。
貞能はその後、宇都宮の地で「定義如来」(仙台に現存)と深く結びつく人生を送ることになります。
4. 現代への遺産
4.1 宇都宮氏の全盛期
朝綱が頼朝の信頼を勝ち取ったことで、宇都宮一族は鎌倉時代を通じて巨大な力を持つようになりました。
4.2 「武士の情け」の体現
政治的な敵を人道的に救うという、後の日本文化にも通じる「美学」を形にしたこと——これが朝綱の最大の遺産です。
4.3 定義如来と平貞能
朝綱に救われた平貞能は、宇都宮から仙台へ移り、定義如来(じょうぎにょらい)を守り続けました。
現在も仙台市の西方寺(定義山)に祀られています。
5. 知られざる真実
5.1 晩年の苦労
朝綱は晩年、不祥事により島流しに遭いました。
しかし最後は罪を許されて故郷に戻り、83歳という当時としては驚異的な長寿を全うしました。
5.2 那須氏との関係
「神業のスナイパー」那須与一で有名な那須氏は、実は**宇都宮氏の同族(または配下)**でした。
このエリア(下野国)は「弓の名門産地」だったと言えます。
6. 関連記事
源平合戦と鎌倉時代について:
- 関ヶ原の戦い:天下分け目の決戦 — 勝者と敗者の構図、平家滅亡との対比
- 伊達朝宗:常陸から来た「開拓者」 — 同時代の東国武士、伊達氏の始祖
7. 出典・参考資料
- Wikipedia「宇都宮朝綱」:生涯と功績
- 湘南ジャーナル「宇都宮朝綱の恩返し」:平貞能との関係
- 3rd-in「宇都宮朝綱の生涯」:詳細な伝記
一次資料・古典
| 資料名 | 概要 |
|---|---|
| 『吾妻鏡』 | 鎌倉幕府の公式記録、朝綱の活躍を記載 |
| 『平家物語』 | 源平合戦の軍記物語 |
関連史跡
| 場所 | 概要 |
|---|---|
| 宇都宮城跡(栃木県宇都宮市) | 宇都宮氏の本拠地 |
| 定義如来・西方寺(宮城県仙台市) | 平貞能が守った阿弥陀如来像 |
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1127年 | 宇都宮朝綱、下野国に誕生 |
| 1180年 | 源頼朝挙兵、朝綱は京都で平家に拘束 |
| 1180年頃 | 平貞能の助けで関東へ帰還 |
| 1185年 | 平家滅亡、貞能は死刑を宣告される |
| 1185年頃 | 朝綱、「一族全滅覚悟」で貞能を救出 |
| — | 頼朝から「坂東一の弓取り」と称される |
| — | 晩年、島流しに遭うが罪を許される |
| 1204年 | 死去(享年78歳または83歳) |